模型屋のつぶやきというコラム(最近気が付いた事)
最近はずいぶんと数が少なくなりましたが、ひと昔前のプラモデルの多くは”モーターライズ”仕様になっている物が多く、箱を開けるとモーターやギヤボックスが入っており、箱絵の迫力ある魅力的な絵と相まってその完成を想像して「ワクワクした」という思い出はプラモデルを作った事のある人であれば、大なり小なりあると思います。ひと昔前まで、「模型を動かして遊ぶ」事は今と比べると大きな比重を占めていたようで、それゆえモーターを入れて動かすことが前提になっていたようです。それゆえ見た目は多少犠牲になっていたが、プラモデル小僧たちにとっては多少の見てくれよりも、図面通りに作ってそれが動く模型に魅力を感じかつ感動していた。それは今も昔も変わらないと思います。確かに気に入った模型が動くとうれしいですし、面白いですし、楽しいです。
鉄道模型を見ていて気が付いた事は、製品のほとんどが”モーターライズである”という事です。二本の線路から電気を取るので、動かすことは線路上という制約はありますが、速度の加減ができ、電気的にも制御できる点において、乾電池を入れて動かす模型とは一線を画しています。さらに完成品やキットも含めてになりますが、ここ最近の製品はかなり精密に出来ているという事を考えると、かつての鉄道模型の製品と見比べると格段の違いがあるという事は物を見ればわかります。
しかしそんな鉄道模型ですが、必ずしも動かす事が前提ではない方もいらっしゃいます。想像よりも多くのユーザーが車両を走らせず、手も加えず、購入してからそのまま大事にしまい込んでしまっている方の割合が多く感じられます。その理由の一つとしては箱が”冷静”であるという事なのではないでしょうか。わたくし三木も以前から鉄道模型に関して言えば、古今東西の鉄道模型の”箱”があっさりしている様に思っていました。確かに中身を見られるというのは魅力的ですが、プラモデルの箱絵のような「到底こんなことは再現できないであろうことはわかっていても、躍動感のある絵」と「それに伴わない中身」の温度差が同居して一つのセットとなっている製品にワクワク感を刺激されたものです。しかし、鉄道模型に限ってはキットであっても、同じく冷静な感じです。
最近ではモーターライズのプラモデルの数はめっきり減り、模型そのものを動かして遊ぶ事が減ったというのは、モデラ―の趣向が変わった事なのだろうと思います。鉄道模型に関していえば、せっかく小さく高性能なモーターが入った車両や微調整の効くコントローラーがあるので、「やはり”走らせること”に重きを置いても良いのではないか」と思いつつ、自分の鉄道模型のコレクションを見ては反省している今日この頃です。